「大人が子どもだった時期を思い出してみてほしいです。子どもの頃に大人がもっとしたかったこととかできなかったことを、いま子どもたちには実際できているのかっていうのを一度振り返って、子どもたちの権利が保証されているのかを考えて、もっと私たちのことを見てほしいんです。」
これは、先日実施した「子どもの権利座談会」の中で高校生が大人に対してのメッセージとして伝えてくれた言葉だ。
私はこの言葉を聞いて、自分が子どもの頃に大人に対して抱いていた思いをすごく思い出した。そして、自分は今どんな大人になっているだろうかと、ドキッとした。
子どもの頃、
「大人はなんでこんなにも子どもの気持ちをわかってくれないんだろう?」
「大人はいつも自分たちの都合ばかりだ」
なんて思ったことがある人は少なくないはずだ。
私自身、そう思ったことが何度もあるからわかる。
“あなたのため”と発せられるその言葉は本当に私のためなのか。それは大人の都合なのではないか?もっと私のことをちゃんと見てほしいという気持ち。
でも、そう強く思っていたはずだけれど“大人”になった私は本当に子どもたちのことをちゃんと見れているだろうか。
子ども達を一人ひとりの権利の主体として、権利を保障できているだろうか。そんな社会をつくれているだろうか。
今回聞いた高校生たちの言葉はどれもどこか懐かしい気持ちと共に心に突き刺さってきた。
そう、突き刺さってきたという言葉が適切なくらい、ドキッとして、はっとして、心を動かされた。
ぜひこの記事を開いてくれたあなたにも、高校生達のまっすぐな言葉を聞いてほしい。そして一緒に子どもの権利について考えてほしい。
子どもの権利の主体である、子どもたちの声を直接聞くことを目的に、中高生を対象とした「子どもの権利座談会」を実施しました。
実施したのは、山梨県韮崎市にある、青少年育成プラザMiacis。ここは家でも学校でもない、中高生のためのサードプレイス。地元の中高生が学校終わりや休日にやってきて、勉強や遊びやおしゃべりに盛り上がる場所で、遠方から通う子どももおり、1日50人ほどが訪れることもあるという。
その施設利用者の中から募集を募ったところ、「子どもの権利」に興味をもった高校生7名が参加してくれました。
高校生たちは子どもの権利についてどう考えるのか、自分たちの権利は守られていると感じるか、大人に伝えたいことはあるかなどを中心に、ワークショップ形式で実施しました。今回のレポートでは、座談会の内容をダイジェストでお届けします。
7人の子どもたちは、「子どもの権利」がテーマの座談会に、どういう動機で参加してくれたのでしょうか。まずはそこから聞いてみることにしました。
— なんで今日の座談会に参加しようと思ってくれたの?
・「子どもの権利」って聞いて、よく分からなかったけど、未成年の自分の権利のことなのかなって思って聞いてみたいなと思いました。
・自分は将来教員になりたいと思っていて、今教育学部の受験に向けて勉強中で、自分が教員になるにあたって子どもの権利を知っておきたいと思ったから参加しました。
・子どもの権利について、他の人がどう思っているのか同世代の意見を聞いてみたいと思った。
一方で、子どもの権利って知ってる?と聞くと7名中2名が「なんとなく名前は聞いたことがある」と答えただけで、中身まで知っている子はいません。
「知らないから知ろう」「考えてみたい」「話してみたい」と積極的に参加をする姿勢を心から尊敬しました。
しかし同時に、本来全ての子どもが自分の権利を知り、保障されるべきものであるにも関わらず、積極的に自らの意志で知ろうと思わなければ、届けられていないという現状に大きな課題を感じざるを得ません。
まずはじめに「子どもの権利条約」について簡単に説明をした後、Unicefの提供する子どもの権利カードブックを使用してワークを行いました。
このカードブックは子どもの権利条約の1~40条までが一枚ずつカードになっていて、わかりやすい要約の文章と、裏には全文が載っているというものです。
カードを眺めて子どもの権利条約の条文を知りながら、自分にとって特に大事だなと思うカードを選んでもらいました。
— あなたにとって特に大事な権利どれだろう?
「意見を表す権利」
・私自身、周りと意見が違ったりすると意見違うのいやだなって思ったりして、それって小さい頃に周りと意見が違うと珍しい目で見られたりしたからで、そういうことがなしにみんなが意見を言えるようになったらいいなと思う。
・学校とかで生活してる中で、先生に対してなにか自分の意見があっても、言えない環境があると思う。行動に移したくても先生たちから言わせないような圧があって、言えないのが良くないなと思います。
「教育を受ける権利」
山梨でも不登校の数が多くなっているし、実際自分の周りでも、高校に入ったのにいつの間にか来なくなっちゃっている子がいたりします。教育を受ける場があるのに、みんながそこにいられないというのが問題だと思います。
「表現の自由」
・小学校のときに自分が本を書いていて、その時の校長先生がみんなが読めるように廊下で展示したりさせてもらったりしました。でも5年生くらいになったときにまわりに「なんでそんなことしてるの?」などと言われるようになってしまって、考えを伝える権利が守られていな感じがしました。
「生きる権利」
・生きることとか育つことは絶対に保障されなきゃいけないのに、世界的に見ると、そうではない子どもたちもたくさんいて、保障されなければいけないと思います。
それぞれが、自分のこと、自分の周りの友達のこと、そしてニュースや学校で知った世界中の子どもと、条約の内容を繋げ、解釈をしながら発言する姿が印象的です。
自分自身、初めに「子どもの権利」を知ったとき、「権利」という言葉に対してなんだか難しそうとか、ちょっと自分との距離みたいなものを感じたというのが正直なところで、子どもたちももっと身近に感じられなかったり、難しく感じたりするかと思っていました。
でも実際は全然そんなことはなくて、子どもたちは柔軟に、自分事として「権利」を扱っている印象をもちました。「権利」に難しさや硬い印象を持って遠ざけてしまっているのは大人の方なのかもしれません。
次に、自分や身の回りで、守られていないと感じる権利があるかを聞いてみました。
— 守られていないと感じる権利はありますか?
「教育の目的」
・“自分の持っている能力を最大限に伸ばし”って書いてあるけど、学校ではみんな同じことをやらなきゃいけなくて、その中でそれぞれが能力を最大限に伸ばすことは難しいと思う。
「子どもに最も良いことを」
・親や先生のエゴで子どもがないがしろにされていると感じることが私の身近でもあって、この権利は守られていないと感じます。
・自分の周りの友だちで、大学受験に向けて頑張ってて、その子はその子の意思で「ここに行きたい」って言っているのに、先生とかに「なんでそうなの?」と止められたり、こっちがいいよと言われているのを見て、本当に子どものことを一番に考えてくれているんだろうかと思うことがあります。
「プライバシー名誉の保護」
・親が子どもの写真とかをSNSに上げたりして、それが問題になったりしたときに一生それが残っちゃうのは、プライバシーが守られていないと思う。
・他人から誇りを傷つけられない権利を持っているというところに注目をして、これは子ども同士でも他人の誇りを傷つけてしまう子がいるから、もっとこういう権利があるということを小さいときに話しておくべきだと思います。
「意見を表す権利」
・学校とかで、納得がいかないときに意見をしたりすると、空気を乱してるよねとか、ちょっと嫌な顔をされてしまったりして、そういう権利が守られていないと思う。
会場では、この他にもたくさんの守られていないと感じる権利について話してくれました。
そのときの私は、高校生たちが紡いでくれる言葉を聞きながら、“大人”としての自分がそこにいることに、恥ずかしさや申し訳なさのようなものを強く感じていました。
大人が“子どものために”とやることが子どもの権利を侵害してしまっていたり、当たり前にある学校の文化やシステムが子どもたちの権利を奪っていることがあること。
そしてそれに対して子どもたちは本当は「おかしい」と思っているのに、言うことができないのが現状だということに強い憤りと、自分も今そんな社会を作ることに加担してしまっていることに申し訳無さを感じました。
まずは大人はもっと子どもたちの声に耳を傾けなければいけないと、知ることから初めていきたいと、改めて思いました。
最後に、大人たちに伝えたいことを教えてもらいました。
・大人が思っているよりも子どもは自分で考えて行動していることを知ってほしいです。
・子どもの権利条約があっても実際には守られていない事が多くあるから、口だけではなくて行動に移してほしい。
・子どもの権利は子どもだけでも大人だけでもなく大人も子どもも知っておくべきものだと思った。
・正解を教えるんじゃなくて、私達が私達なりの正解を導き出す手伝いをしてほしい。
・ほとんどの人が子どもの権利を詳しく知らないと思うので、まずは多くの人が知って理解できるようにしてほしいです。
・聞く耳をもっと持ってほしい、子どもでも大人と同じ人なんだから価値観を否定するのはやめてほしい。
・大人が子どもだった時期を思い出してみてほしい。子どもの頃に大人がもっとしたかったこととか、できなかったことを今子どもたちは実際できているのかっていうのを一度振り返って、子どもたちの権利が保証されているのかを考えて、もっと私達の事を見てほしい。
今回、本当に貴重な高校生たちの生の声を聞くことができました。そのどれもが、日頃から本当は思っているけれど、大人たちが聞こうとしていない、聞けていない言葉たちではないかと思います。
大人たちがそういった子どもたちの声に耳を傾けていないだけで、本当は子どもたちはたくさんのことを考え、たくさんのことにもやもやしながら生活していることを痛感する時間でした。
ただ、同時に思うのは、はじめにも書いた通り、大人たちだって本当はその気持を知っているはずということです。
私たちだって、子ども時代に同じようなことを感じていたじゃないかと。
ではなんで今を生きる子ども達にも同じことを感じさせてしまっているのか。社会は変わっていないのか。
人間は忘れっぽい動物だから、子どもの頃のことは大人になったら忘れてしまうものなのか?
それは一つの要因ではあるかもしれないけれど、それだけではないと思います。
私は、多くの人がもやもやしたり、おかしいと思うことがあったりしても、それに適応するしかなくて、次第に諦めてしまったのではないかと思っています。
そして、そうやって諦めて適応しているうちに自分も大人になって、「自分だって我慢してきたのだから」とその“当たり前の”構造や文化を温存してしまっているのではないかと思うのです。
じゃあ、どうやったらそのループを抜け出せるのか。
それは、大人も自分の権利を知ることなのではないかと思います。なぜなら大人は、自分が守られてこなかった権利を子どもにだけ保障しろと言われても、どうしていいか分からないだろうと思うからです。
子どもの権利は、子ども特有のニーズに基づいた権利ではありますが、その元になっているのは、誰しも生まれながらにしてが持っている「人権」です。
改めて自分に、自分たちに保証されている権利を知るところから始めてみるのが重要ではないでしょうか。
私自身、子どもの権利について知り、人権について考えたことは、生きる上での安心に繋がり、自分を大切にすることに繋がったと思っています。
大人も子どもも、自分や他者の権利を知り、お互いにその権利を最大限保障することを目指しながら生きていくことができたなら、誰にとっても生きやすい、安心を土台とした社会を作っていくことができると考えています。